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あるところに、クチナという女の子がいました
クチナは産まれてすぐに捨てられたので
お父さんも、お母さんも、いませんでした
だからクチナは、子供のときからたったひとりで
生きていかなければなりませんでした
クチナはひとを騙すことや、ものを盗むことをおぼえました
そうしなければ、とても生きてはいけなかったのです
でもクチナはそのことを不思議には思いませんでした
なぜなら、クチナのまわりのひとたちはみんな貧しく
だれもがそうやって生きていたからです
クチナの生まれた国では、貴族という偉いひとたちが
食べ物やお金をみんな独り占めしてしまい
貴族でないひとたちの生活は、とても苦しかったのです
クチナは大きくなると、泥棒になり
国中に名前が知られるようになりました
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クチナはあるとき、国で一番大きなお城に盗みに入りました
たくさんの宝石や金貨をもって逃げ出そうとしましたが
運悪く、捕まってしまいました
クチナは牢屋に入れられ、次の日に死刑になることが決まりました
夜が更け、朝日が昇ろうとするころ
クチナは牢屋の前に、誰かが立っていることに気づきました
それは綺麗な男の人でした
男の人は鍵を開けて、クチナを牢屋から出しました
どうして、とクチナは尋ねました
男の人は自分がこの国の王子であると言い
食べ物やお金を独り占めする貴族たちを止められないことを
人々が苦しんでいるのを、どうしようもできないことを
クチナに謝りました
自分たちが貧しいのは、王子様のせいではないし
このお城に盗みに入ったのは、自分で選んだこと
王子様が自分に謝る必要は少しもない
クチナはそう思いましたが、わざわざ言葉にするのが面倒だったので
黙って牢屋をあとにしました
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クチナがお城から逃げた少しあとに
大きな事件が起こりました
西の果てに棲むといわれる魔物たちが
次々と現れ、クチナの国を襲ったのです
貴族も、貴族でない人も、たくさん死んで
ついにクチナの国は滅びました
クチナは国が滅びる少し前に、国を抜け出したので、無事でした
国を捨てても、クチナは平気でした
クチナには大事なものが、なにもなかったからです
でもクチナには、一つだけ気になることがありました
自分を助けたあの王子様はどうなったのだろう
クチナはいろんな人に尋ねました
王子様は生きていました
王子様は軍隊を率いて、魔物と戦いましたが
戦に敗れ、地下深くの迷宮に囚われていたのです
たくさんの人が王子様を助けようと、迷宮に入りましたが
誰一人、帰ってはきませんでした
クチナは王子様のことを忘れようとしましたが
どうしても王子様のことが気にかかります
クチナは何日も何日も悩んだ挙句
王子様を助けることに決めました
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クチナは王子様を助けることに決めましたが
クチナは剣も魔法も使うことができません
このままでは魔物の餌食になるだけです
クチナは東の森に住む魔女を訪ねることにしました
何百年も生きている魔女ならきっと
魔物と戦う方法を知っていると思ったのです
魔女はクチナに言いました
人間の力では、魔物に勝つことはできない
王子様を助けるのは無理だと
そう言って、クチナを追い払いました
しかしクチナは諦めませんでした
何度追い払っても、クチナが戻ってくるので
ついに魔女も観念して
クチナに不思議な仮面を手渡しました
魔女は言いました
この仮面をつければ
強靭な体力と、あらゆる魔法を打ち消す力を得ることができる
きっと魔物と互角に戦うことができるだろうと
しかし仮面の力は、それだけではなかったのです
魔女は続けて言いました
この仮面をつけた人間は、大きな力を得る
しかし人間の身体は、その力に耐えることができない
半日も経てば、その身体はボロボロとなり
命を落とすことになるだろう、と
クチナは仮面をじっと見つめると
少しの躊躇いもなく、それを身に着けました
魔女は驚きました
まさかクチナが仮面をかぶるとは、思っていなかったのです
魔女は言いました
仮面は一度着けると、着けた人間が死ぬまで外れない
クチナの命は、もはや助からないと
クチナはあまり興味がなさそうに相槌を打つと
短くお礼を言って、魔女の家を出ました
魔女はただ呆然と、クチナが去っていくのを見送りました
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クチナは迷宮に乗り込むと
次々と魔物を倒していきました
巨人の拳も、龍の炎も
クチナを傷つけることはできませんでした
クチナは迷宮の一番奥に辿り着きました
頑丈な柵の向こうに、王子様が横たわっていました
あのときとまるで反対だと
クチナは昔、王子様と出会ったときのことを思い出しました
クチナはいとも簡単に、牢屋の柵を壊すと
王子様に近づきました
王子様は眠っていました
クチナは王子様を起こそうとしましたが
王子様には眠りの魔法がかけられていました
魔法を解かないと、王子様は目を覚ましません
クチナは仮面の力を使って、魔法を解こうとしましたが
少しの間、何かを考えると
魔法を解かず、眠ったままの王子様を背負い
そのまま牢屋を出て行きました
クチナは王子様を背負って、来た道を帰っていきました
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夜が明けようとしていました
クチナは迷宮を出ると
ちかくの草原に王子様を降ろし
王子様にかけられた魔法を解きました
王子様はゆっくり目を開けると
目の前の仮面のクチナに気がつきました
君は誰、と王子様は言いました
しかしクチナは答えず
黙ってその場を後にしました
王子様はクチナを引きとめようとしましたが
クチナは振り向かず
そのままどこかへ去っていきました
太陽が昇り、あたりを薄く照らし始めました
迷宮から遠く離れた森の中
クチナは王子様が追ってこないことを確かめると
その場にばたりと倒れました
そして再び動き出すことはありませんでした
ごそりと物音がしました
いつのまにかクチナの隣に、魔女が立っていました
魔女はクチナの傍らに屈みこみ
クチナから仮面を外しました
その瞬間、魔女は
まるで何かに打たれたように
その動きを止めました
そして、何かとても珍しいものを見るように
クチナの顔を見つめました
クチナは笑っていました
ぼろぼろに擦り切れ、薄汚れたその身体
ただそこだけが、輝いていました
魔女はじっと、クチナの顔を見つめていました
いつまでも、いつまでも見つめていました
おしまい